現代アートを前にして、「正直よく分からない」と感じたことはありませんか。
作品の意図や価格の理由、誰に向けた表現なのか——そうした疑問を持ったまま、立ち止まってしまった経験がある方も多いと思います。

私自身も、かつては現代アートが分からない側の一人でした。
なぜこの作品はこの価格なのか、ギャラリーは何を基準に作品を扱っているのか。その違和感が、Seibundo Galleryを始めるきっかけになりました。

展示風景

※ オープニンググループ展「Digital × Analog」展示風景


現代アートが「分からない」と感じていた頃のこと

作品を前にして、立ち止まってしまった理由

私自身、最初からアートに詳しかったわけではありません。
展示を見に行っても、

  • これは何を表現しているのだろう
  • なぜこの価格なのだろう
  • どういう人が買っているのだろう

そんな疑問ばかりが頭に浮かび、作品を前にしても、どこか落ち着かない感覚がありました。

「分からないのは自分だけではない」と気づいた瞬間

「分からないなら、無理に分かろうとしなくていい」
そう言われることもありました。

けれど同時に、分からないまま“見る側”にとどまり続けることへの違和感も、少しずつ大きくなっていきました。
その感覚は、ギャラリーに来る方と話す中でも、何度も共有されるものでした。


価格や価値が語られないことへの違和感

なぜこの作品はこの価格なのか

しかし、特に強く感じていたのは、価格について語られることが極端に少ないという点です。
なぜこの作品はこの価格なのか。若手作家の作品を買うとは、どういう意味を持つのか。

明確な正解があるわけではありませんが、考えるための視点すら共有されない状況には、強い違和感がありました。

流通や記録が見えないことの問題

買った後、その作品はどう扱われ、どこに記録されていくのか。
作家の活動は、どのように積み重なっていくのか。

現代アートそのものというより、現代アートを取り巻く「仕組み」の部分に、課題があるのではないかと考えるようになりました。


なぜギャラリーという「場」を選んだのか

情報だけでは足りないと感じた理由

もし情報を伝えるだけなら、記事やSNS、データベースという方法もあったと思います。
それでも私が選んだのは、実際に作品があり、人が集まり、会話が生まれる「場」としてのギャラリーでした。

少し個人的な背景を加えると、私の家業は、約50年にわたって続いている古書店です。
本は、ただ消費されるものではなく、誰かから誰かへと受け渡され、記録として残っていくものだという感覚は、自然と身近なものでした。

Seibundo Galleryの空間に、あえて書店の雰囲気を残したのも、
ホワイトキューブではなく木のボードを壁面に使ったのも、
そうした感覚と無関係ではありません。

作品もまた、ただ展示されて終わるものではなく、
見られ、語られ、記録されながら、次の場所へと渡っていく存在だと考えています。

作品・人・会話が交差する場所として

作品を前にして「分からないですね」と言える場所。
価格や背景について、気軽に聞ける場所。

そうした空間があってもいいのではないか。
むしろ、今だからこそ必要なのではないかと考えました。


Seibundo Galleryが大切にしている考え方

価格や背景を、できる限り共有する

Seibundo Galleryでは、作品や価格について、可能な限り背景を説明することを大切にしています。
判断するための材料を共有することは、ギャラリーの役割の一つだと考えています。

作家のキャリアを中長期で考える

短期的な販売だけでなく、作家の制作やキャリアを中長期で考えること。
それが、結果的に作品やコレクションの価値を支えると考えています。

工芸も現代アートとして扱う理由

Seibundo Galleryでは、工芸も現代を生きる表現として、現代アートと同じ地平で扱っています。
用途の有無ではなく、表現としてどう向き合うかを重視しています。


初めての展示を終えて、感じたこと

2024年12月19日から12月28日まで、
Seibundo Galleryとして初めての展示となるオープニンググループ展
「Digital × Analog」を開催しました。

生成AIが急速に普及する中で、
アートにおいて人はどのような創作活動の方向に向かっていくのか。
その問いを起点に、今回の展示では、あえてメディウムやテーマを限定せず、さまざまな表現を紹介しました。

正直なところ、
見る人によっては「少し雑多なキュレーション」に見えたかもしれません。
ただ、それは意図したものでした。

一つの答えを示すのではなく、
複数の方向性を並べることで、考えるきっかけをつくりたかったからです。


「分からない」という言葉を、展示の中で聞いて

初めての展示ということもあり、準備には想像以上に時間がかかり、
展示のご案内も直前になってしまいました。

それにもかかわらず、幸い多くの方に足を運んでいただき、
作品についても前向きな反応をいただくことができました。
一方で、ご案内が遅れたことで、来たくても来られなかった方が多かったのも事実です。

そのため、展示替えや作家の追加を行い、会期を延長することにしました。

展示期間中、「正直、分からないです」とおっしゃる方も少なくありませんでした。
けれど、作家本人から制作背景や考えを直接聞いたあと、
静かにうなずきながら作品をもう一度見直している姿を、何度も目にしました。

その光景は、
「分からない」という感覚が、対話によって変わりうるということを、あらためて実感させてくれました。


手ごたえとして残ったもの

今回の展示を通して、
Seibundo Galleryとして目指している方向は、間違っていなかったのではないか。
そんな手ごたえを感じています。

完璧な展示でも、分かりやすい答えを示せたわけでもありません。
それでも、「考えるきっかけ」や「対話の入口」は、確かにつくれたように思います。

だからこそ、引き続き、
この場所で試行錯誤を重ねながら、展示を続けていきたいと考えています。

「分からないまま、来てほしい」

買わなくても、正解を知らなくてもいい

現代アートが分からない。
価格の理由が腑に落ちない。
買うかどうか決めきれない。

それでいいと思っています。

この場所を、考えるきっかけとして使ってほしい

Seibundo Galleryは、「分かっている人のための場所」ではなく、分からないと感じている人が、安心して立ち止まれる場所でありたいと考えています。

作品を買わなくても構いません。
作家や作品を知っていただき、好きになってからコレクションしていただきたいと考えているので、何度でも見に来ていただいければと考えています。

少しでも「なぜだろう」「もう少し知りたい」と思ったら、そのきっかけとして、この場所を使ってもらえたら嬉しいです。それが、かつて現代アートが分からなかった自分へ向けた、Seibundo Galleryという形での一つの答えです。

これからSeibundo Galleryでやっていきたいこと

ここまで書いてきたことは、すべて完成形ではありません。
展示や対話を重ねながら、少しずつ更新されていくものだと考えています。

今後も、作品や作家についてだけでなく、
価格や流通、展示のつくり方などについても、
できる限り言葉にして共有していくつもりです。

このコラムも、その一つです。